教えのやさしい解説

大白法 472号
 
広・略・要(こう・りゃく・よう)
 『法華経』に「広・略・要」という三つの立て分けがあります。「広」とは広いということであり、また全体という意味があります。「略」とは略要(りゃくよう)、簡略(かんりゃく)という意味であり、「要」とは肝心かなめという意味です。
日蓮大聖人は『法華題目抄』に、
「一部八巻二十八品を受持読誦(どくじゅ)し、随喜(ずいき)護持(ごじ)等するは広なり。方便品寿量品等を受持し乃至護持するは略なり。但(ただし)一四句偈乃至(ないし)題目計りを唱へとなうる者を護持するは要なり。広略要の中には題目は要の内なり」(御書 三五五)
と説かれています。この日蓮大聖人が説かれた「広・略・要」は、『法華経』の法体(ほったい)と修行に関する立て分けです。
 『法華経法師品』などには、受持・読・誦・解説・書写の五種の修行が説かれていますが、末法の衆生は五種の中の受持の一行(いちぎょう)をもって修行の肝要とします。そこで一体何を受持するのかを明示されたのが、この「広・略・要」の立て分けなのです。
 「広」とは『法華経』一部八巻二十八品全体を受持し修行する意です。
 「略」とは、『法華経』一部の大略の中心の義という意で、迹門(しゃくもん)十四品の内では諸法実相(しょほうじっそう)を説示した『方便品』、本門十四品の内では久遠実成(くおんじつじょう)を説く『寿量品』がこれに当たります。
 そして「要」とは、妙法蓮華経の五字七字です。日蓮大聖人は『法華取要抄』に、
「日蓮は広略を捨てゝ肝要(かんよう)を好む、所謂(いわゆる)上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり」(御書 七三六)
と我々の修行は「要」の修行である題目の受持であることを御教示されています。
 しかし、この題目はただの『法華経』の題名ではなく「上行所伝の妙法蓮華経」なのです。
 この妙法五字は、『法華経』の説相(せっそう)からいえば、釈尊が『寿量品』において説き示した三世常住の法です。釈尊はこれを『神力品』において四句の要法として上行菩薩に付嘱(ふぞく)されました。この相伝(そうでん)によって、この要法は上行菩薩が所持あそばすのです。
 上行菩薩の再誕(さいたん)・末法出現の御本仏(ごほんぶつ)日蓮大聖人は、この要法が久遠元初(がんじょ)の自受用身(じじゅゆうしん)の証得された本因名字(ほんにんみょうじ)下種の妙法であり、さらにこれを御所持あそばす日蓮大聖人の御当体(ごとうたい)そのものであることを明かされました。
 そして日蓮大聖人は、末法の一切衆生救済のために御身(おんみ)の御魂魄(ごこんぱく)を御本尊と御図顕(ごずけん)あそばされたのです。
 要の修行とは、この御本尊を受持して妙法蓮華経の題目を唱えることであり、これこそが日蓮大聖人の示された末法の一切衆生の成仏のための修行なのです。